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スペインに関すること、映画、本などの話題。バルにいる気分で気軽に読んでほしい。


by bar_madrid
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『清潔でとても明るいところ』

先日発行された東京闘牛の会の会報に書いた文章を転載しようと思う。僕の愛する町カディスについて書いたものだ。


『清潔で、とても明るいところ〜カディス〜』  

ヘミングウェイの「清潔で、とても明るいところ」というほんとうに短い掌編がある。スペインの夜中のカフェが舞台で、そこで酒を飲む老人とそれを見つめるウエイターたちの会話、そしてつぶやき。「この世はすべて、無(ナダ)、であって、人間もまた、無(ナダ)、なんだ」。明るい照明に照らされた空間に影が差す一瞬を切り取ったような、情熱や熱狂とは違うもうひとつのスペインの顔をヘミングウェイは確かに写し取っているように思う。

僕が初めてカディスに行ったのはもう10年以上前のこと。1ヶ月以上の気ままな旅のなかで出会ったのがこの小さな港町だ。現在ではもう廃業してしまった駅に付属した安ホテルに荷物を置いてサン・ファン・デ・ディオス広場をぶらぶらと歩き、ふらっと入った店が以後ずっと通うことになるバル・レストラン<C>。船の形をした奇妙な形のカウンターに、うまそうなタパスが並んでいた。古い店で決してきれいとはいいかねるのだが、ここのカウンターに座って店の壁に取り付けられた古い受像機でサッカー中継を見ていると、不思議な居心地のよさを感じた。店を仕切るでっぷり太って優しい目をしたファン*とは片言のスペイン語ですぐに仲良くなった。会社をやめて実に何とも無(ナダ)状態の僕は、時間をもてあましては日々このバルのカウンターに座ってヘレスやセルベッセを飲みつづけていた。煙草をビニール袋に入れて売って歩く老人や、毎日決まった時間にやってきていつもぶつぶつ独り言をつぶやいている謎めいた初老の男など、この決して裕福とはいえない小さな町の住人たちがすれ違い言葉や挨拶を交わす人間の交差点こそ、バルの存在だと思った。スペインの街という街は広場という分子とバルという細胞でできているというのがその時の僕の実感だ。やがて、ファンに挨拶して店をでてカテドラルの横を通りメルカードへ。このそばに<M>というバルがある。店の前では少年が採れたばかりのウニの殻を割っている。早速、注文してこれを肴に一杯。潮の香りがワインにあう。ここは魚介の揚げ物が売りのバル。小エビの揚げ物もついでに頼んで持ち帰りにしてもらう。途中で買ったセルベッサも抱えてカレタ海岸へと移動する。夜、8時過ぎから世界一美しいといわれるカディスの夕日を眺めるためだ。落日が終わりに近づくとこの町は薄紫から薄墨色へと不思議な色彩に包まれる。何度眺めても飽きない風景だ。

夜の帳が降りると、再びサン・ファン・デ・ディオス広場へと移動する。広場近くのグルメが集まるバル<B>へ。ここの料理は繊細な味付けで人気がある。この時間から広場周辺のバルは賑わいだす。タパスひとつに酒一杯の正しいバルのはしごをしてまわる。そして酔い覚ましにふらふらと町のなかにさまよいだし、石畳の細い道を歩いていく。と、どこからともなくフラメンコの音が聞こえてくることがある。ここカディスはフラメンコ発祥の地ともいわれている。でも、その本当の姿は人々の生活の中に隠れていて、表通りには存在しないものだ。暗い路地の奥の重い扉の中から聞こえてくるもの。それは決して明るい場所ではなく、夜の果てにある音楽だ。だから本当のフラメンコをカディスで探すならば、深夜の町の暗闇に身をさらさなければ聞こえてこないだろう。しかも、それは運がよければの話だ。 カディスは、アンダルシアの強烈な強い太陽が降り注ぐとても明るい場所だ。しかし、この町に身を浸すものにとっては、どこまでも暗く手を伸ばしても届かない暗闇をもっている。それこそが僕をこの町に引きつけてやまない魅力だ。

 「フラメンコは夜の音楽ですから、電気を消してください」(小泉文夫「アンダルシーアの町、カディス」より)。

*ファンは昨年、店を引退して今は家族と幸せに暮らしているという。今までの友情に感謝!

◎過去の万博の写真UPしました。

『清潔でとても明るいところ』_d0018367_11124478.jpg

by bar_madrid | 2005-07-06 11:13 | スペイン