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スペインに関すること、映画、本などの話題。バルにいる気分で気軽に読んでほしい。


by bar_madrid
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『マグダラとヨハネのミステリー』その2

こういう話っていうのは、どこか眉唾で、オカルトチックに思われるかもしれないけど、現在残っている歴史とはあくまで勝者による「正史」であり、その背後に何があったかを考えるのは面白い。さて、『マグダラとヨハネのミステリー』だけど、ここで著者が主張しているのは、本来のキリスト教は、女性原理も含む両性具有的な豊かな宗教だったのではないか、ということ。それはエジプトのイシス信仰に影響を受け、何よりキリストの教えの正しい継承者は、マグダラのマリアであり、なんと彼女はキリストの妻ではなかったかということだ。マグダラのマリアがキリストの妻、もっと言えば性の対象者であった証拠もいろいろと書かれている。しかし、現在の福音書には、マグダラのマリアはまるで娼婦であったように貶められている。これは、キリストの使徒たち、特にペテロとマグダラのマリアとの確執があり、使徒たちはキリストの寵愛を一身に受けるマリアの存在を消してしまうために、現在の福音書からは意図的にマグダラのマリアについての記述は削除されたというのだ。つまり現在の「聖書」は、キリストの弟子たちの意図的な編集の結果できあがったものであり、そこには本来キリスト教がもっていた女性原理などの豊かな部分は消されてしまっている。そして、そのマグダラのマリアの教えは、カタリ派やボゴミール派、またはグノーシス文書、そして死海文書などに残されているというのが、この本のアウトライン。

まぁ、どこまで信じていいかわからないけど、この主張にも非常に興味をそそられる部分もある。そもそも南仏やスペイン南部に残されている「黒い聖母」の謎も、エジプトの宗教に影響された原始キリスト教、マグダラのマリアへの信仰という面である程度説明はできる。スペインなどの熱烈なマリア信仰も、どこかでこの二人の「マリア」への信仰が止揚していった結果なのかもしれない。また言い換えれば、マグダラ信仰は聖母マリア信仰という仮面をかぶって今も続いているのではないだろうかと、考えるとちょっと楽しい。そして、それはもうひとつのキリスト教への民衆の潜在的に刻まれた遠い記憶によるのだろう、というのは考え過ぎだろうか。また、一説によるとマグダラのマリアはキリストの子供を3人連れて、南仏に逃れて、やがてその血脈はフランスのメロヴィング朝へとつながるという。それは年月を経てフランス革命の「自由・平等・博愛」の思想へと流れて行くのだと。ここまでいくと「?」だけどね。このへんも大伝奇小説!『ダ・ヴィンチ・コード』につながるお話。

こういう面に興味のある人(いないか?)は、他に清川理一郎『キリストと黒いマリアの謎』(彩流社)、マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーン『レンヌ・ル・シャトーの謎』(柏書房)、フェルナン・ニール『異端カタリ派』(白水社)、などを読むといい。また日本でも、笠井潔『サマー・アポカリプス』(創元推理文庫)、堀田善衛『路上の人』、荒俣宏『レックス・ムンディ』、佐藤賢一『オクシタニア』などの小説でカタリ派について語られている。
by bar_madrid | 2006-03-12 22:51 | CASA DEL LIBRO